医師インタビュー

悠々自適なアルバイト生活から100人規模の医療法人総帥まで上り詰めた北城雅照医師が熱い思いを語る

【答えてくれる先生】
北城 雅照先生/医療法人社団円徳 理事長・総帥

(医療法人社団円徳 公式HP:https://adachikeiyu.com/
<経歴>
2009年 北里大学医学部卒業 / 2011年 慶應義塾大学医学部整形外科学教室入局 / 2018年 医療法人社団円徳(旧:新潮会)理事長就任 / 2019年 足立慶友整形外科院長就任/ 2024年 足立慶友整形外科総帥就任
<認定資格・所属学会>
◎日本整形外科学会認定整形外科専門医  ◎日本整形外科学会認定リウマチ認定医 ◎日本整形外科学会 ◎日本再生医療学会 ◎日本メディカルAI学会

■関連ページ

理事長として法人を強力に牽引

医療法人の理事長・総帥を兼任する整形外科医

医療法人社団円徳理事長の北城雅照医師。彼は2024年に同法人総帥に就任した。理事長として、そして総帥として、病院やクリニックを管理、いわば組織全体のかじ取り役を担っている。
理事長に就任した2018年以来、北城医師は法人全体の組織づくりに尽力し、成果を挙げてきた。現在では、法人全体で100人を超えるスタッフが在籍し、全病院・クリニックを合わせると1日約400名を診察。
職場環境の充実にも注力。「メディカルジョブアワード2023」を受賞するなど、職場環境のよさを評価されている。
理事長・総帥として手腕を発揮する北城医師だが、意外にも、それ以前は法人や病院の経営、運営にさほど興味がなかった。理事長就任前は、時間の融通が利くアルバイトで要領よく生計を立てる医師だった。
なぜ、医療法人の運営に興味がなかった彼が、ここまで至れたのか。
本ページでは、そんな北城医師の歩みと、医療社団法人円徳が大切にする理念について紹介する。

評判を呼び、事業継承の話が舞い込む

北城医師は整形外科専門医・リウマチ認定医を取得後、大学院で研究をする傍ら病院やクリニックのアルバイトで生計を立てていた。
当時、アルバイト先の院長たちは、一人で1日何十人もの患者を週7日間診ていた。休診日はなく、自由な時間を持っていない。
「なぜ院長たちは四六時中クリニックに張り付いて働くのか」。
北城医師はつきつめて、院長らがなぜ休まないのかを考えた。たどり着いた答えは、「経営者として不安を抱えている」から。
「院長がいないと患者が減る。やっていけないかもしれない」。
この経営者としての不安が付きまとい、休めなくなる。これが北城医師の結論だった。
そこで北城医師は、「できる限り、私が患者さんを減らさないクオリティの医療を提供します。院長は休んでください」などと提案。院長は皆、喜んでいた。
アルバイト生活をしながら、北城医師は大学院での研究やサーフィンなど趣味にも打ち込んでいた。
「北城先生はパフォーマンスを上げる。提案もおもしろい」。
院長らの間で北城医師は、評判になっていた。
そして、2016年のある日。
「事業継承に興味はありますか?」
北城医師に事業継承の話がきた。

医者ガチャ問題の解決を目指した

北城医師のもとに舞い込んだ事業継承の話。彼は日本の医療環境の改善の糸口かもしれないと考えた。北城医師は、当時から現在まで「医者ガチャ問題」に強い危機感を持つ。彼が思う医者ガチャ問題の一つは、医師間の技術格差と給与差だ。

例えば、ひざの手術が必要な患者がいたとしよう。この患者の初診問診票が、医師歴20年のひざのプロフェッショナルに回るか。はたまた2年目の新人整形外科医に回るか。
患者は、自分で選べない。
運次第。まるでガチャガチャだ。この状況は医師側にとっても望ましくない。
もし医師歴が同程度だった場合、技術が高かろうが、低かろうが、給与差はほとんどない。技術向上に日夜心血を注ぐ熱心な医師と、及第点ギリギリの技術レベルの医師。同じ給与なのはいかがなものか。
給与が同じでは、いくらオペを磨いても自己満足の世界。医師レベルが上がらない。ひいては、日本全体の不利益である。この医者ガチャ問題。解決のために動きたい。その思いが強く、北城医師は事業継承の話を受けた。
「自分が信頼できる医師を集め、当院を頼る患者を助けたい。それに、私のもとで働く医師には技術に見合った正当な給料のもと満足して欲しい」。
彼はそのような展望を持ち、実現のために動き出した。

大学病院と同等レベルの高い医療を提供するクリニック

北城医師は、医療法人社団円徳の病院について、「大学病院と同等の医療提供を受けられる」と自負。優秀な医師が集結しているという自信の表れである。
「優秀な先生をどうやって集めているのか?」
よく疑問を持たれる。
腕のいい医師を集められたきっかけは、2020年に始まったコロナ禍の医師の派遣切りだった。当時、大病院、クリニック問わず、患者が全国的に減少。各地の病院経営には暗雲が立ち込めていた。
経営状況の悪化によって、長年まじめに働き、技術を磨き続ける優秀な医師すら解雇されていた。北城医師は「まるで仁義がない」。血も涙もない派遣切りに、心を痛めた。
ただ、医療法人社団円徳も他医療法人と同様に余裕があったわけではない。しかし北城医師は派遣切りを見過ごせず、切られた優秀な医師を迎え入れたのだ。
医師を増やすことは、時代の流れに反していたが、結果的に、平時はまずフリーにならない優秀な医師を何名も招くことができた。この当時の北城医師の決断が、大学病院と同等の医療を提供できる原動力になっているのだ。